産後の生活〜里帰りせず二人目出産した私の場合〜
産後も二週間近くなりました。
ここで、今までの産後生活を振り返ってみようかなと思います。
- 体力の回復が早かった
一人目の時より(切迫早産で出産含めて丸々三ヶ月入院)、体力の回復は早いです。
一昨日は、近所の美容院に髪を切りに行き、昨日は、近所のラーメン屋に一人で歩いて食べに行きました^_^(子供達が寝ているすきにオットに託して二時間以内で済ませました)
長期入院が、前回より一月短かったのと、陣痛時間が短かった(本格的に痛くなって一時間も経たず出産)のが大きいと思います。
話は少しそれますが、昔、無痛分娩について調べていて、メリットで、陣痛がないから産後の回復が早い、とあったんですが、これってあながちまんざらでも無いかなぁと思います。
なので、その観点から言えば、産後すぐに体力を回復させたい人は、無痛分娩する価値は有りだと思います。
※私なりの素人考えなので、デメリットなどもよくよく考慮して主治医等にご相談下さい
私の場合は、次も予定はないし、妊娠しても、すごくはやくお産が進むだろうから、無痛分娩する機会はないですがね。
- 実家無し、義実家はあるけれども、二人目は主人と二人で乗り越えています。
私は実家がなくて、頼るべき親戚縁者は一切いません。なので私サイドの援助は一切無し。
一人目の時は義実家にお世話になりましたが…。(その時の入院中の病院の担当看護師から、義実家で過ごす事を強く勧められたので、主人が義実家に頼んだ。)
三食のお世話になって申し訳ないけれど、正直しんどかった。
また纏めて記事にする事もあるかと思いますが、色々ありまして。
一番大きい理由が、義実家での私の寝室が二階にあったので(最初の話では一階の話だったのですが、行ってみたら二階になっていた…)、長期入院で足の筋肉が削げおち、一人で上るのもままならないので、二階は辛いと主人の母に話したところ、『うちの階段が急(勾配)だっていうの?!あんた達のアパートの階段の方が急じゃない!!』と怒ってしまい、オットも何も言えずそのまま二階に寝室になりました。
ミルクを作るために、二、三時間おきに台所までの上り下りが地獄のようにきつかったです。
しかも、一度夜中に階段で転倒し、両肘から血が出ていたんですが、翌朝主人の母にお願いして、しぶしぶ出してもらった絆創膏が一枚でした。
主人に絆創膏を買ってきてもらいました。(次の日に職場に行ったんですが、両肘に怪我した私をみて皆んな引いていました)
他にも、夫婦関係、育児への細かい口出し、私に聞こえるように嫌味を大声で言う、こっそりと主人に私の行動を逐一揚げ足を取って陰口を吹き込む(部屋の掃除をしていない、家事の手伝いをしない、寝てばかりいる、少しの失敗を大げさに吹聴するetc)さらには、主人がわたしを庇うような事を言うと泣いて怒り狂う…
さらに、私が育児がこんなに大変とは思わなかった、いつまで続くのかとても辛いと半泣きで相談したら、『介護の方が余程たいへんなのよ!!育児は、終わりがないだ?育児はずっと続くのよ!あんたは人を介護する時は、相手が早く死ねと思うのか?!人の死を願うのか?!』
と言われました。しかも翌日までその事を聞こえよがしに、ぐちぐちと嫌味を言われました。
‥こんな体験をしたので、この人に育児の相談、というか腹の中を話す事はもう金輪際無いなぁと思いました。
会話が宇宙人と話した方がマシと思うくらいに噛み合わない…
私にとって主人の母は、last personです。
幸い孫は可愛いみたいなので、それは、感謝しています。
後は決して近づこうとは思わず、適当な距離感で主人の母とはお付き合いしたいと思います。
今のところ、産後はほぼ私と主人で乗り越えています。
幸いにも、退院が三連休の初日であり、主人が
さらに2日お休みを取れたので、うちのことはほぼ主人に丸投げして5日間は身体を休めることができました。
これが良かったですね。
ただ、上の子の生活リズムが狂ってしまってるのでなんとかしたいです。
保育園に行かせていれば良かったのですが、主人があまり行かせたがらない(送迎が大変になる、病気を貰ったら余計に大変)人なので、自宅で一人で見ていますが、しんどくなってきました。
私の住んでる所は地方の中核市なので、ファミリーサポートなど、育児の社会的リソースがあまり発達してないんです。提供会員が少ないみたいで。
他にも民間シッターサービスもないし、今はひたすらYouTube頼りです‥
掃除はそこそこにして、洗濯は乾燥機付き洗濯機なので、放り込めばなんとかなります。
ごはんは、朝はパンを焼くだけ、昼は冷凍食品の麺類など、夜は主人が何か買ってくるか、早く帰ってきたら簡単に作ってくれます。
皿洗いはパナソニックの食洗機が大活躍してくれています。
これでなんとか平日は飢えて死ぬこともなく最低限の生活をして乗り越えています。
それでも腰が少し痛みます。ほんとは寝ておきたいのですがなんやかやと動いてしまいますね。
今から掃除機をかけたい気分です…
退院しました!が、まさかの?!
一昨日退院しました!
涙涙のお別れになるかと思いきや‥
退院日の最後のチェックで、プー次郎改めお饅頭ちゃんに、黄疸がでて、ビルビリン値が高いとのこと(・_・;
帰れるのは帰れるけど、次の日に来てと言われました。
黄疸が落ち着くまでは、母乳を与えるのは控えて、ミルクを多めに与えてと指導を受けました‥え、昨日Amazonでポチっちゃったよ‥
‥張り切って、搾乳機買った、フライング(五七五字余り)
次の日に病院に言ったら、体重も減って黄疸の値も高いとのこと(・_・;
光線治療になるかもとなり、かなりパニックになって、看護師さんからの話をよく理解できずにトンチンカンな返事をしてオットをあきれさせました(´Д` )
ひとまず、お饅頭ちゃんを病院に預かってもらい、裸にひん剥かれて目隠しされてる姿にダメージを受け涙しながら帰ってきて、ネットで黄疸についての情報を集めつつ過ごしました。
そうして一晩明けて、病院からの電話を今か今かと待って、電話があり、値が下がったとのこと!!
よかったぁー。ミルクの飲みも悪かったのが昨日は良く飲んだとのことで、ひとまず安心。
心なしか、饅頭ちゃんも、肌が白くなっている気がしました。
饅頭→栗饅頭くらいには。
でもって、まだ、母乳は飲ませないで下さいと。
このまま完ミルクにしちゃおうかなぁ。でも搾乳機が‥(´Д` )
明後日また病院に行きます!
なかなかやすまれませんね!!
明日退院します!
プー次郎も、初日に比べて、ミルクを飲む量も増えてきました。(5→40ml)
おっぱいも、熊之助のときはほとんどでなかったのですが、今は脇が張ってきて、搾乳機を使うと、少しずつ出て来るようになりました。
わたしは、さし乳かつ陥没乳首なので、引っ張り出して母乳をしぼり出すのが、大層辛いのですが、搾乳機を使うと痛みも少なく、母乳も多少はでてくれます。
前回の総合病院は、無理矢理にでも母乳を出させるために助産師さんから、乳首をこねくりまわされ、すっごく辛かったのですが、ここは、マイペースでいいみたいで、精神的に楽です。
母乳にこだわるつもりはありませんが、なるべく免疫力をつけたいなぁと思っています。
病院と同じメデラの搾乳機を購入しました。
無理せず母乳とミルクを並行していこうと思います。
ちなみに、搾乳機を検索したら、便利な世の中、凄いのがありますね!
ここまで母乳が出るなんて羨ましい。
雌牛になった気持ちになりそう‥
昼間は母子同室ですが、シャワーの時と夜間時は預かってくれるので助かります。
数日前から、右脇腹の痛みがきつくて、子宮が元に戻っているからなのかと思っていたのですが、しょっちゅう痛み止めをもらいすぎて、昨日の朝一に先生がわざわざ部屋に来てくれて診てもらいました。
大したことはなさそうで、おそらく腸にガスがたまっているのでは、ということでした。
昼間は痛みがなく、寝る時に痛むので、ゆっくり寝れないのが辛いところです。
さて、いよいよ明日から、新しい家族と四人体制になります。
何かあれば頼れてきたスタッフさん達ともう会えなくなるなると思うと、少しさみしくなりそうです。ていうか泣くかもしれない(・_・;
これから、言葉の通じない者たちとの生活がどうなるのやら怖いですが、がんばります!!
出産レポ2〜なかなか終わらない後処理〜
出産して、プー次郎も元気そう。
じゃあ、糸ぬって終わりかな、と思いきや、先生が何やらブツブツ言い出した。
『胎盤が出て来んねー』
パワフル看護師さんは、一方でプー次郎のお世話(写真撮ったり、検査したり)にかかりっきり。
先生がキレて、『胎盤が出てこんから、そっちに集中せんね!』と怒鳴るも、マイペースなパワフル看護師さん‥
先生はさらにキレて別室に行った神看護師さんを盛んに呼ぶ。
何やら胎盤を出すために色々している模様(痛いとかよくわからないレベル)
先生が結構焦りながら、数十分後くらいになんとか胎盤が出て、ひとまずホッ。
モニターで胎盤が残っていないか、筋腫の大きさもチェックしてもらいました。
胎盤が出た後に、先生が、『心配させるから言わなかったけど胎盤にへその緒がくっついて、心肺停止の可能性もあったんだよ。あなたを心配させると思って言わなかったんだけどね』と!!最後にびっくりしました。
緊張した場面が終わったのか先生も『いやー、早かったねぇ。呼ばれてから間に合わないかと思ったよー』と話されて、オンコールの神看護師さんも『間に合わないかと思って必死できたわー』と笑っていました。
そしてやっと糸を縫い始め、その間に神看護師さんが、アイスを食べさせてくれました。
先生が、パワフル看護師さんに『もっと早く呼ばないとー。切迫さんだったんだからー』と怒っていたのがとても気の毒でした‥。
そして、処置が終わってから、分娩室でそのままの姿勢で安静‥てこれが結構辛かった。二時間以上、姿勢を変えれずに、分娩台に寝たきり。
腰がもともと悪いんですが、もう、痛くて痛くて仕方ない。
しかし、パワフル看護師さん曰く、寝とかないと、子宮が捻れるそうな。
結局、朝の8時まで硬い分娩台で寝たきりで、ようやくふらふらになりながら、入院部屋に入り、そのまま朝ごはんが出たので、半分くらい食べました。
お尻が痛かった‥。
ようやく夫に連絡すると、すっごくビックリしていました。そりゃそうだ。
それでもマイペースな夫は、洗濯してから来ると行って、昼過ぎくらいに病院に現れました(・_・;
次の日の検査で採血にきた別の看護師さんが、出産時の点滴跡をみて、『あー、〇〇さん(パワフル看護師さん)、相当テンパったんやねぇ』と苦笑していました。
出産レポ1〜やはり切迫は早かった?!〜
年越しも、ピザを食べつつ、紅白の安室ちゃんも観れて、ゆったりと過ごす。
そして、1月1日の朝。
昨日より多目のおしるしがあった。
でもお腹の張りはそこまでではないので様子を見てみる。
午前中シャワーをあびて、安静にしておく。
夫と熊之助は、昼過ぎに夫の実家へ行ったので、私はその間録画しておいた笑ってはいけないを見ながら、ゆっくりしていた。
お腹の張りは昼にはあまり感じなかったが、夕方あたりから、少し感じてきた。
夫に念のため早く帰ってきてもらうように促す。
17時過ぎには、張りが規則的に10分くらいあり、そこそこ痛く、ご飯をふつうに食べれない。
冷凍おにぎりを、寝たまま食べさせもらった。
この時点で、念のために行ってみよう!と思って、22時に病院に連絡したら、来てみるといいよと言われて行くことにした。
車に乗った時点で、張り収まったかなぁー?といった気持ちもあった。
病院に着いてインターフォンを鳴らして入る。
今日の夜勤は、例のパワフル看護師さん1人であった。
これも後から考えると、何かの運命だろう。
陣痛室にはいって着替えて、分娩室にうつって、モニターをつける。このまま入院するにしても、すぐにはお産にならなさそうなので、主人は一旦帰ってもらった。
モニターも、若干の方張りはあるものの、前駆陣痛かな?といった感じで、看護師さんが内診しても、子宮は大分上だし、陣痛が来るにしても、朝方に出産にはならないでしょう、との事だった。
ひとまずは陣痛室で一晩を過ごすことになり、明日はついでに妊婦健診しましょうと、尿カップを渡された。
そのまま寝ようとして、3時過ぎ、少し張りが出て来て、背中腰お尻に劇痛がでてきた。
ナースコールして、分娩室でモニターと看護師さんの内診。
モニターも穏やかだし、またまだお産にならないよ、という事で、陣痛室に戻る。
しかしすぐに、今度はもっと凄く、短い間隔の劇痛がきた。
これって、明日妊婦健診受けるどころじゃなくね?
と思いながら、しばらく耐えていたが、耐えかねて5時に夫に対してメール。(しかし気付かれず)
ナースコールも押して、劇痛を伝える。今度は分娩室に移動するのもつらい!
ようやく分娩台にのって、内診したら、すぐにお産になるって!!
1人で、大急ぎで準備しだしたパワフル看護師さん。
先生に連絡して、オンコールの看護師さんを呼び出していた。
器材をガチャガチャしながら、『まだ気張っちゃだめよ!!』とわたしに檄を飛ばすが、この時点で、痛みはピークに。
私『いったぁぁぁーーーーーい!』
看護師さん『痛いのは当たり前!気張っちゃだめだからね!鼻から息をすって口から出す!!』
こちらを見ようともせずに、準備に必死。
素人の私から見ても明らかにテンパっている。
点滴をしようとするが、1回目失敗!
つぎは、右腕の肘の裏側(採血するときに取りやすい場所)に刺される。
看護師さん『肘を曲げちゃだめだからね!』
私『(え?無理無理!)』
先生が到着。オンコールの看護師さん到着(神さま看護師さん)
ちなみに神さまエピソード↓
リトドリンの副作用なのか、妊娠中特有なのか、身体中が物凄く痒くて、看護師さんに必死で訴えたら、『すぐに欲しいと思って』と、塗り薬を処方して持って来てくれた!貴方は神か!!
— へむてつ (@hemFetan) 2017年11月10日
パ看護師さん『さぁ!先生も来たし、もう気張っていいからね!』
先生『次の陣痛で出るよ!』
私『(はぁ?!も、もう??)』
陣痛がきた。
でない!
先生『気張ってないね!もっと気張って!』
神看護師さん『あごを引いてお腹をみて!腕を引いて!』
パ看護師さん『う◯ちを出すように!気張って!』
私『(もうどうにでもなれー!)』
バシャッ破水。
先生『頭出てきたよ!もうすこし!』
神パ看護師さんズ『がんばれー!』
私『ふぬーーーーーーーん』
プー次郎『ほぎゃあ、あああ〜〜!!!』
二、三回のいきみで、プー次郎誕生でした。
本格的な陣痛開始から二時間弱でした。
しかしここからが長かった!
つづく