へむてつ徒然日記

網膜剥離、切迫早産入院二回の記録、男児2児の育児記録、日々の雑感など徒然なる事を書き散らしています。現在育休中。

大部屋で人間関係を考えた話【網膜剥離編】

網膜剥離で入院した時は、住んでいる市から二つ程隔っていたので、仕事も熊之助の面倒を見なければいけないので、主人の面会はほぼありませんでした。

前回の入院で主人も、色々病院というものが嫌になったらしく、手術さえも付き添ってくれませんでした。まぁ、付き添ってもすることは無かったんですけどね。

ほぼ面会なしで2週間乗り切ったんですが、それはいいとして。

 

同室になった人は、みんなひとまわりふたわり上の方々ばかりでした。

私としては、仲良くしなきゃと思って話しかけるタイミングを見計らっていたんですが。

同室は三人いて、50代と思わしきAさん、70代と思わしきBさん、同じく70代くらいのCさん、といました。

この中で、AさんとBさんが仲良くて、ひっきりなしにお互いの家庭の愚痴やら、Aさんのお仕事の自営業の話(お店を二つ持っていて一つはご主人、もう一つは自分が担っていて、今はご主人が両方掛け持ちをしていると言った内容)を細々と話していました。

Cさんは、身体が弱いのか始終寝たきりでほぼ会話せず。

 Aさんは、網膜剥離を何度もおこして、かつ、白内障も併発していて、手術を数日前に受けて、ずっとうつ伏せ状態が続いていてようやく解除になったみたいでした。何回も入退院を繰り返し、視野が欠けているみたいで、そのまま車の運転も仕方なくしているとか。

Bさんは、白内障緑内障両方?だったかな?私の手術前に退院が決まっていました。

入院2日目くらいに思い切って話しかけたら、わたしの話スキルの無さなのか、地雷を踏んでしまいました( ;  ; )

 聞かれるがままに、病状の話をしてしまったのですが、

Aさんの主治医と私の主治医が違う事(あちらの方が教授クラスで私はペーペーな先生)、Aさんのオペの術式と私の術式が違う事(あちらは硝子体手術、私はバックリング)、主治医から、手術後3日したら退院できる可能性もあるよと話があった事(実際、体調はフラフラですが、3日あれば退院出来たなぁとおもいます。風邪をひいていたから、無理でしたが‥)

 

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 そういう違いがことごとく、特にAさんの地雷になったらしく、

 事あるごとに、何故主治医が違うのか、何故術式が違うのか、本当に3日で帰れるのか、繰り返し、何度も何度も詰問されて、ずーっとブツブツ文句を言っていました。

そんな事私に言われてもf^_^;勘弁してくれよ、って話ですよね。

年齢も病状も違うんだから‥

しかも、手術前に『網膜剥離って、何度も繰り返して剥離するみたいよ!!』と言って、こちらの反応を見ていました。

話しかけたのは失敗したなぁと思いました。

失敗に気づいてからは、カーテンをひいて、大人しく引きこもっていたのですが、Aさんは、それから帰りたい帰りたいとひっきりなしに言い出し、主治医に無理を言って退院を早めてもらっていました。

 Bさんも、私が3日で退院も可能と言ったのが信じられなかったらしく、私が手術前日に退院される時に、ひとしきりの挨拶をされた後に、じーっとわたしを見て、『ねぇ、本当に先生は3日で帰れるって言ったの?』と聞いてきましたf^_^;こんな事で嘘言ってどーするんだろう、と思いましたよ、まったく。


AさんとBさんは、本当に仲良くて、Bさんは退院したら、お見舞いにくるわ、Aさんのお店にも行くねと、親しげに話をしていました‥

Cさんは、途中で部屋を移る時に、熊之助の写真を見て、可愛いね、とにっこり笑ってくれました。


私がいた病棟は、ほとんど年配の方が多く、比較的若い私は変に目立っていたんでしょうね。手術が終わって、安静が解けて、ロビーをウロウロしていたら、周りからジロジロ見られていました。

ただ、廊下で向こうから話しかけてくれた、おばあちゃんは、呑気に、『ここはご飯が美味しいのよね、三食上げ膳据膳で天国やわー』とか、べつのおばあちゃんは、『庭を歩いていたら、転んだ時に目を柵に突き刺してねー』と、瞼を開いて見せようとしてきたり(ぎゃー((((;゚Д゚))))))))、一般的な?世間話が出来ました。

たまたまめぐり合わせが悪かったのかなぁ??

これもまた苦い思い出になりました。